Jul 30, 2009
最近では、事業資金はあまりなくても起業をする必要があります
最近では、事業資金があまりなくても創業が可能なようです。最近、非常に不況の影響だと思うのですが、結構前から企業向けすぐに会社設立を行うことができると、事業者の金がほとんどなくても会社設立ができるようになっています。私が現在働いている会社がこの不況では非常に難しい状況になっているので、今、会社か私は考えています。当社は、会社法などの規則的な食事の中で、会社設立手続きが行われ、会社の情報は、登記所の司法局に行けば誰でも閲覧できるので、個人と比較して、取引の安全を確保しやすいのです。このような点が個人よりも会社のほうが社会的に信用されるところだ。会社の場合、会社が死んでしまうわけではないので、個人事業でも、別のところだ。会社設立は、このような利点がある。
東日本大震災の発生から11日で1カ月。被災地ではなお、行方不明の家族や親族、そして愛する人を捜し求め、多くの人が遺体安置所に通う。宮城県利府町の県総合運動公園内にある安置所には、再婚を約束した元夫を捜す女性の姿があった。「これからたくさん思い出を作るところだったのに…」。泥だらけで見つかった元夫の携帯電話を握りしめながら、行方不明者リストを見つめ続ける。(市岡豊大)
同県多賀城市の看護師、高橋良美さん(32)は平成11年、高校の同級生だったトラック運転手、佐藤正和さん(32)と結婚した。優しく芯の強い人柄にひかれた。すぐに長女の小学5年、愛実さん(11)を授かった。しかし、5年後に離婚。「けんかの勢いで別れてしまった」と振り返る。
佐藤さんは離婚後、同県石巻市に住んでいたが、次第に高橋さんと連絡を取るようになった。ここ数年は月1?2回、高橋さんの自宅で一緒に過ごしていたという。「わがままな私でいいと言ってくれた」。互いの存在の大きさをかみしめ、どちらからともなく再婚を約束した。佐藤さんは最近、3人でキャンプに行くために新車を買おうと、夜遅くまで連日働いていた。
3月11日、高橋さんは自宅近くの病院で勤務中だった。震災直後、愛実さんの無事はすぐ確認できた。しかし、佐藤さんとは連絡が取れなかった。病院には患者が殺到し、手が離せない状態が続いた。
1週間後、ようやく取れた休日。仙台市にある佐藤さんの勤務先を訪れ、佐藤さんが津波に巻き込まれたことを知った。高台に避難したあとで「(高橋さんと愛実さんの)2人が心配だから」とトラックに飛び乗り、2人の元へ向かった直後のことだった。
勤務先の近くで佐藤さんのトラックが見つかり、運転席に泥だらけの携帯電話があった。開くと、高橋さん宛てのメールが送信失敗の表示のまま、壊れていた。「どんな気持ちでトラックに乗っていたかと思うと胸が張り裂けそうで…」。心配させてしまった自分が悔しかった。
仕事の合間をみては、東北地方全域の不明者リストが張り出される利府町の安置所に通う。リストを見るのはもう何度目か。
「悪い夢の中にいるんじゃないかと、ときどき思うんです」。被災地が復興に向けて動き出すほど、受け止めなければならない現実がつらくなる。でも、いつかきっと捜し出し、自宅に一緒に帰れると信じている。
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東日本大震災は11日、発生から1カ月を迎えた。被災地では、かすかな復興の槌(つち)音が響き始める一方、未曽有の災害に立ち尽くしたままの被災者もいる。住宅の8割が津波に押し流された宮城県女川町を歩くと、いまなお不明の家族を捜し続ける男性や、子供たちの笑顔に元気をもらう避難者の姿があった。(八木択真)
◆たどる面影
復興への小さな歩みを刻むように、真新しい電柱の列が伸びている。女川町の中心部では、道路を覆っていたがれきが脇へ積まれ、撤去作業が本格化している。ただ、廃虚の街に人影はまばらだ。
高松康雄さん(54)は、静かに揺れる海の前にたたずんでいた。妻の祐子さん(47)が岸壁近くの銀行で勤務中に津波にのまれ、行方がわからない。毎日岸辺を訪れ、海を眺め続けている。
行員らは2階建ての支店の屋上に避難したが、津波はその上を越えた。当時勤務していた14人のうち、13人が行方不明のままだ。
連日、遺体安置所も回る。「手がかりもないまま1カ月もたっちゃった。何とか見つけてあげたい…」。釣り好きで足しげく海に通っていたが、あの日から竿(さお)は握っていない。町では今も、約600人の行方がわかっていない。
◆故郷を後に
海を見下ろす町の高台に、犠牲者を土葬した墓地ができていた。木の墓標が整然と並ぶ。建築業の木村憲秀さん(57)は、自宅で逃げ遅れて亡くなった母のよし子さん(87)の墓前でそっと手を合わせていた。
「『近いうちに迎えに来るから』って…。申し訳ないけどね…」
避難所を離れ、隣接する石巻市に借りたアパートに移ることになった。それを伝えに来たのだという。「離れるのは嫌だよ。やっぱりここが一番だなと思う。でもこれから仕事が忙しくなるし、避難所にいてはどうしようもないから」
消防団員として、行方不明者の捜索を続けてきた。長く続いた活動を思い返し、涙をぬぐった。「今助けっから待ってろって、みんな泣きながらだったよ」
犠牲者の火葬が追いつかない被災地。女川町の土葬場にもこれまでに約130人が葬られた。
◆少しずつ前へ
女川町で最大の避難所となっている町総合体育館。家族ごとに段ボールで仕切りが作られ、小さな“街”ができた。電気と水道が開通し、風呂も自衛隊が毎日提供する。食事はまだ1日2回と満足ではないが、憔悴(しょうすい)しきっていた住民に笑顔が戻りつつある。
妻を亡くした水産加工会社社員、木村隆征さん(41)は「精神的には落ち着いてきた。ここはいっぱい子供がいるから、明るくなるよね」。日中は元気な声が周辺にあふれる。
仕事も家もない現実が町外への避難を後押しし、町に残る避難者の数は半分以下に減った。一方で仮設住宅の建設準備も進む。「今まで何も考えらんなかったけど、これから頑張んなきゃ」。木村さんは自らに言い聞かせるように語った。
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